悪質二種類ガン闘病記 ⑬   また再発か!



2005年8月(63歳) 穏やかで、大きな波風も無い、普通の日々を過ごしていた。仕事も極めて順調だ。だが、災難は忘れた頃にやって来る、のことわざ通り忘れずにやって来たようだ。7月の細胞診がレベル3で様子見との診断だったので、いやな気分で過ごしていたが、もしかしたら再発かも知れない、そんな不安に襲われる症状が現れた。ちょっとウズウズ感がある、少し残尿感も出てきた。「これは、まずいな」と思いながらも、僅かの望みを捨てきれないでいた。
しかし、それも長くは続かなかった。出血を疑うべき形跡が自覚できるようになってしまった。間違いなく再発だ。観念して事実に立ち向かう以外にない。ここで投げ出す事もできない。そうは分かっていても、気力が押し潰されそうになる。膀胱摘出か、更に死か、不安だ。

妻に報告しなければならないが、再度の再発を彼女はどう受け止めるのだろう。考えてみれば、彼女は私と結婚して以来35年間、ずっと主婦として家庭を支えてきたのだ。夫と一人の息子のためだけに自分を捧げ、人生の全てをかけて二人に尽くしてきた女性だ。そこには完全な無償の愛しかない。楽ではない家計の中で、朝から晩まで、身を粉にして働き、丈夫ではない体で、我が身を振り返る事もしないで、生きてきた女。私にもしもの事があっても、経済的な力も何もかも全てを、二人の家族に捧げ尽くしてきた身には、すがれる物は何も残っていない。そんな妻に何と言えばいいのだろうか。自然に涙があふれてくるのを押さえる事ができなかった。止めどもなくあふれてくる。「申し訳ない、申し訳ない」それしかない。言葉も無い、考えも無い、心の中で泣きながら謝り続けた。

 

妻と共に落胆の心で訪れた病院は、外装の工事中だった。外来ゾーンに変わった様子は無く、工事は外装だけのように見受けられた。受付機にカードを差し込むのも気が重い。受付票の診察室番号は19番になっていた。待合ゾーンで待つ間、何か変化はないか目だけキョロキョロさせて探した。あった、電光板に森山先生の名前が無い事に気づいた。多分、転勤したのだと思ったが、やや残念な気分になった。19番診察室の電光板には大林先生と表示されている。どんな先生だったかよくは分からないが名前は見たことがある。順番が表示され、中待合入りした後、程なく呼び込まれた。診察室では初対面だが、病室では会った事がある先生だ。手術室でも見た事があるような気がする。確か医長では?

大林先生「かたりじさん、その後、変化はありませんか。」

私「先生、どうやら再発らしいのです。出血したり、ウズウズ感があったり、症状が出ています。」

大林先生「分かりました。他に不調な事はありませんか。」

言いながら、私の眼をひっくり返したり、口の中をのぞき込んだり、手が休んではいません。

大林先生「こちらで横になってください。少しベルトを下げて頂けますか。」

診察台に横たわるように指示をして、聴診器を私の胸に当てたり、腹の左右に当てたり、あちこち診察していたが

「大丈夫ですね。それでは膀胱を観てみましょう。隣の部屋でお呼びしますので、準備ができるまで少しお待ち下さい」

中待合で待つよう指示されて、呼び込み待ち。しかし、処置室待ちは私だけではないようだった。私の前に二人が呼び込まれた。30分近く待って、ようやく処置室へ。何度も経験しているので、スムーズに膀胱鏡検査は完了。

再度の診察室、先生の説明を聞く。

「かたりじさん、残念ですが再発ですね。又、1年前と同じ手術をして、その後BCGという治療になりますが、それが最も良い手立てだと思います。いかがですか。」

揺るぎの無い、響き渡るようなご託宣を賜った。

私「分かりました。先ず入院ですね。」

かくして経尿道的膀胱ガン摘出手術日が9月10日に決定。会計手続きも済ませ、入院予約。これも慣れたもので、瞬く間に済んでしまった。そして帰途についたのだが、沈みがちになる気分をどうする事もできないでいた。バスを降りたターミナルで突然、妻が

「お昼、おいしい物でも食べていきましょう。」と言った。

「さすが、一家をしょっている主婦の根性はちがうな」やや不真面目な感慨をもちながら、そんな事を思った。

帰り着いても、元気が沸いてこない。何となくグッタリだ。入院までに片付けておく仕事と先延ばし可能な仕事を仕分けして、片付ける仕事は直ぐに取りかからなければ。それでも何となくグズグズしてしまった。

 

9月10日 3度目の手術日だ。何をされるか全て経験済みなので、怖いものは何もない。病室で迎えを待つ。初めての看護師さんだったが、ストレッチャーを引いていない。先生と二人で現れたけれど、手には書類ボードだけだった。

「お待たせしました。まいりましょうか。」看護師さんに促された。

ストレッチャーではなく、一緒に歩いて行くらしい。これの方が、”何となく現代的だな”と思いながら手術室へ。

手術の状況は以前と変わってはいなかった。只、時間をかけて丹念に行われたようだ。終わった時に周囲を見回してみると、手術をした(この手術でも執刀というのかな?)先生とそれを観ていたのか、チェックしていたのか分からないが、二人の先生が一緒に手術室に居るのが見えた。一人は確かに大林先生だった。
手術後の帰りは、ストレッチャーに乗せられてのご帰還となったが、病室でのベッド上安静は以前と同じだった。看護師さんの情報によると、大林先生はこの病院の大学では准教授で、ここでは医長として責任者を務め、更に指導医としての役割も果たしている、偉い先生だという話だった。術後は良好な経過で、1週間の入院も無事に終了した。

 

退院して3週間が経った。
大林先生「かたりじさん、今日からBCGを始めます。ただし今回は1回の量は40ミリで同じですが、回数は細胞診の結果がレベル2になった時点で終了という事にします。できるだけ回数は減らす方向で治療を進めたいと思います。」

私「分かりました。宜しくお願いいたします。」

このようにして週1回のBCG治療が始まり、痛い3日間、痛くない4日間のサイクルが順調に進んだ。その結果、前回同様6週後細胞診でレベル2になった。翌週はBCG無し細胞診のみでレベル2を確認した。

大林先生「かたりじさん、今回の治療は終了です。又、再発の監視体制になります。根気よく続けましょう。今後は以前同様1ヶ月1回細胞診を行います。」

季節は冬となり、もうすぐクリスマスが近づいていた。来年は再発しなければ嬉しいな、そんな事を考えながら家路についた。「ガンが無くなり喜びに満ちて」という程の気分ではなかったのだが、車窓を流れる年の瀬の景色は、ゆったりと動いているように感じられた。
(14に続く→16まで)

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