悪質ガン二種類闘病記 ⑮      手術が済んで、胃が無い、脾臓が無い、胆嚢が無い



目覚めて、普段との違いを感じたが、周りを見回して直ぐに理解した。「無事に終わったのだ、よかった」と思った。あれこれ考える暇もなく声がして、

宮本看護師「目が覚めましたか。手術は無事予定通り終わりましたよ。8時間の予定だったのですが、終わったのは午後7時でした。10時間掛かりました。それでは、立ってみて下さい。」

「何だと、やっと麻酔から覚めたばかりの重病人に、立てとはあまりにも過酷な要求ではないか。」そう思って、あきれ顔で看護師を見た。

が、彼女はいつもの事とみえて

「大丈夫ですよ、心配いりません。私が支えますから。」私の手をとって促す。

ベッドから降りて恐る恐る立ってみたが、別に痛いところも無いし、問題は無さそうに思えた。

「お部屋に戻りましょう。」看護師の言葉に又もやギョッとさせられた。

現在の医学ではそういう事を行うのかという恐怖の驚き。麻酔から覚めたばかりの患者に、すぐ歩けという。私の知識からは想像もできない事が行われているらしい。今時の医学から大きくかけ離れた、古びた知識の自分に愕然とした。それでも看護師の言葉に従い、病室に向かおうとして、ここがどこなのかやっと分かった。ナースステーションから見える、すぐ前の術後回復室だった。患者を常時監視するための特別な部屋とも言える。古い知識では術後はICUで回復と思っていたが、それは隣にあった。設備の整った広い部屋に数人の患者が横たわっているのが見える。

導尿管を保持した点滴スタンドを引きながら、ソロソロと歩き始めて、ふと尿意を感じた。只、導尿管に繋がれているので、どうなのか迷ったのだが、看護師に訴えてみた。

彼女の答えは明快で、「それでは、導尿管を外します。」

そう言いながら私を処置室へ導いて、サッサと外す準備を始めてしまった。

外し終わって一言「トイレへどうぞ」。

トイレの往き帰りに看護師の助けが無用だった事は、素直に嬉しい事実だった。繋がれている管は無いし、実に爽快だ。

看護師と共に病室に着いた時、そこでは妻と息子が待っていた。私が歩いてくる姿を見た二人は、信じられないものを見てしまった、そんな目をしていた。今朝、病院に来てすぐに手術後運び込まれた部屋に行ったが、私はいなかった。何かあったのか、緊急事態が起きてしまったのか、大変な不安に襲われたらしい。まさか急に息を引き取ってしまったのでは、不安は広がるばかり。あわてて看護師に聞いたところ「部屋に帰った」と言われて、更に理解不能な混乱に陥ったらしい。無理もない。私と同じレベルの知識では、とても理解できない事が行われていたのだから。まさか私が歩くとは想像もできなかったのでしょう。くわしく状況を説明したが、やはり大変な驚きで、理解して納得するまでには大分時間を要した。

巡回に来た宮本看護師の情報によると、この病室は四人部屋で、一人は1週間ほど前に腸の手術をした人、後の二人は私と同じ胃の手術をした人、そして私、この四人全員重病患者ばかりという事です。後日、患者同士の雑談で分かったのだが、胃の手術をした二人は、それぞれ部分切除で胃の3分2を無くしたそうだ。3日前に手術をして、2週間の入院予定だが、「早く仕事に復帰して、稼がにゃなんねえ」二人ともそう言っていた。

昼食の時間、四人全員部屋食だが、私の食事だけ特別に他の三人とは違っているようだった。見るからに少量で、おもゆが主になっていた。そんな少しばかりの食事すら、一口箸を付けただけで、止めてしまった。全く食欲が無い。空腹感が無い。まあ、一日目はこんなもんだろうと思って、焦りは無かったが、明日は食べられる様になるのかなあ。配膳係は食事ボックス回収時にチェック事項があるらしく、私の食事に関しても、書類に何事か書き込んでいたようだ。

午後になり、初めての診察を受けた。執刀した主治医の太田先生、研修医とその指導医、三人の医師団が私の腹の傷跡に注目している。主に傷の手当てをしているのは研修医の茂木先生だが、見るからに危なっかしい手付きだ。恐る恐るガーゼやテープを剥がす姿は、患者の方で心配したくなる。ここは大学病院である事を考えれば、やむを得ないシステムなのだが、それにしても一年坊主そのものだ。いろいろ思いが湧き上がるが、今更ジタバタしても始まらない。未来の名医のために練習台になるか。

忙しく初日が過ぎたが、夜はなかなか寝付けなかった。特段興奮している訳ではないが、今後の事、家族の事、考える事がいろいろ去来して、遅くまで目がさえてしまった。

宮本看護師の定時巡回が規則正しく始まった。朝は6時検温や血圧、脈拍などの記録、その他健康状態の確認など、四人の患者を順次調べて、忙しく次の病室へ移動していく。先生の診察も毎日続いた。妻は1週間に3回のペースで、着替えや消耗品を持って通ってくれた。
病院の人達や家族の世話になりながら、少しずつではあるが確実に回復していった。危なっかしい手つきの研修医先生も1週間が過ぎる頃には、手つきも慣れて、割と手早く処置ができるまでになっていた。だが、現代医学はノンビリを許さない。宮本看護師の命令が下った。歩け歩けの運動指示だ。「一刻も早く運動を始める事が、早い回復に繋がる」とおっしゃる。ここでも、自分の知識と実際の医学とのギャップを思い知らされた。本当に、まるで反対だ。「あまり動かしてはいけない」は間違っているのだそうだ。

 

病院中を歩き回ったり、中庭で軽い体操をしてみたり、回復に努めて3週間が経ち、いよいよ退院の日を迎えた。今回の病気は、膀胱ガンのように繰り返し、繰り返し、再発に襲われる性質ではない。従って大きな不安は無い。穏やかな気持ちで先生や看護師さん達に挨拶を済ませ、諸手続も完了。病院のバス乗り場までわずかの道のり、明るい太陽に照らされた外界を目にして、心の底から感謝し、喜びにひたった。これからは、1年間は3ヶ月毎、それ以後は半年毎、のサイクルで5年間追跡検査をおこなう。その間、再発しなければ完治となる。再発と言っても胃は無いし、脾臓(ひぞう)、胆嚢(たんのう)も取ってしまったし、どこかへの転移を意味するのだが、どこへ転移するのかな。
(16に続く→16でおわり)

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