シルバー天使の応援歌 ⑭ 爆笑問題 田中は変人名人


 爆笑問題の田中裕二と太田光

「爆笑問題」の太田光が「日医大不正入試騒ぎ」のとばっちりで、「裏口入学疑惑」に引っ張り出されていますが、そもそも「爆笑問題」の二人は一体どんなコンビなんだろう。変わり者やはみ出し者の多いお笑い界にあって、一際つかみ所の無いキャラクターで一世を風靡(ふうび)している二人。ハチャメチャでやりたい放題の太田に、ヘラヘラ突っ立っているだけの田中、そんなイメージかと思いますが、この二人の何が人気の元なのだろうか。面白いとは程遠い芸風のようですし、あえて言えば「太田の爆走ぶりが観る側にとって面白かったのかも知れない」ぐらいしか思い浮かびません。

 

今では誰も知らないような、昭和の化石みたいなギャグやドタバタをやっていたり、パッとしない掛け合いなんかで「面白い」のカケラも無いコンビです。元々はオーソドックスなスタイルの漫才やコントで「ピカリと光る」二人組でしたが、大阪からの芸人大量流入の波と時代の変遷の中でそんな芸は少しずつ廃れていき、今では一発芸人やひな壇芸人が目まぐるしく入れ替わる、「芸人のいない」お笑い界に変わってしまいました。

 

 

そんなお笑い界にあっても、強烈なインパクトで忘れられないテレビ番組がありましたね。「太田総理大臣」です。太田光の面目躍如たる組み立てで、圧巻のシーンがよくありました。台本を無視したような熱弁を振るう姿は結構迫力のあるものでした。太田が心からの本音を叫んでいるのではないかと思われる場面も、よくありました。しかし、この番組における「爆笑問題」の役どころは、お笑いだけの芸人ではとても「こなせない」ような非常に難しいものだったと思います。少なくとも面白おかしい内容を「売り」にした番組ではなく、ほとんどが太田光の「人間と芸」そして田中裕二の「絶妙の受け」に委ねられた構成だったと思います。「太田とそれを支える田中」、「爆笑問題」本来の姿で立ち向かった人間力の表現だったように思いました。

 

 太田光

太田光は「裏口入学」などと言われて騒がれているが、大東文化大の附属高校から日大芸術学部に入るのに、本人曰く「裏口から金を払って入る程の学力は必要無い」そうで、世間一般も同じ認識かと思われる。過去に調子に乗って「俺は裏口入学」などと悪ふざけをしていた言質を、今頃になって週刊誌に利用されているようで、「日医大の不正入試問題」にかぶせて引っ張り出されたように見える。そもそもアスペルガー症候群で・・、発達障害で・・などのエピソードがそこら中から聞こえてくる太田だが、面白半分、悪意半分のヨタ話ばかりだ。周りに誤解を与えるような「本気」なのか「ふざけ」なのか境界の見極めにくい言動は、彼にとっては日常の事であり、気にする事ではないようだ。周りから見るとハラハラしてしまうような事でも平気で口にできるのが太田光の人間力とも言える。只、そんな破天荒な姿に惑わされていては太田光を見誤る事になる。このコンビの台本や諸々の出版物、プロデュース、演出など全て太田光の作品であることを忘れてはいけない。

 

田中裕二 

日大芸術学部で太田光とめぐりあい、「爆笑問題」を結成し、共に大学を中退した後、「ラ・ママ新人コント大会」でデビュー。この大会で芸能事務所の太田プロにスカウトされ、「爆笑問題」は太田プロ所属となった。1988年にテレビデビューしてからは、太田光の「台本の良さとトボケでハチャメチャ」に対して、田中裕二の一見まともで「絶妙の間の突っ込み」は「関東風コントのコンビ」として「危なっかしいが味わいのある二人」に育っていった。吉本の東京進出に押され気味になっていた関東お笑い界にあって、人気コンビとしての地位を確実に固めていった若かりし頃の話です。このコンビの持ち味で本当に特筆すべきは「太田光」のハチャメチャや才能ではなく、太田のキャラも吹っ飛んでしまうぐらいの田中裕二の「超変人ぶり」にあることは意外と知られていない公然の話なのです。。コンビのイメージキャラでは、「普通のおじさん」、「目立たない突っ込み役」あたりで、仲間内では「Mr.普通」と呼ばれていたそうですが、なかなかどうして、大変な超変人です。

  • 証言者1(太田の妻・太田光代)・・「田中裕二と夫婦として20年以上暮らせる女性は絶対に存在しない」。田中が離婚した時は「生涯独りぽっちなのが分かっている田中を放っておくわけにはいかない、太田と一緒に田中も老後まで3人で暮らそうと覚悟した」。「売れない時代にコンビニのバイトをしていたのだが、そっちにのめり込んで本業を捨てようとしていた。これはまずいと思い、無理矢理止めさせた」。
  • 証言者2(伊集院光)・・「本当にどうかしているのは田中裕二なんですよ」。あんな異常なスケジュールと異常な太田光のそばにいながら「巨人が勝ったとか負けたとか」「猫ちゃん可愛いな」だって。売れないころ、暇つぶしでやっていた草野球だったはずなのに「毎日野球ができるから楽しくてしょうがない」と喜んでいた、その精神はどうなってんだ。
  • 証言者3(ドワンゴ取締役、高校の同級生の夏野剛)・・高校の人間で彼を知らない奴はいなかった。とにかくユニークで、ものすごく成功するか、全然ダメかのどっちかなんだろうなと思っていました。
  • 逸話1・・高校時代に「ウーチャカ」という愛称で「ウーチャカ大放送」という校内ラジオ放送のパーソナリティをやっていた。人前に出るのが大好きで、クラスの人気者、歌やモノマネで周囲を沸かせていた。
  • 逸話2・・大学入試の実技試験に、野球のユニフォームを着ていった。
  • 逸話3・・2009年のWBCで日本チームを批判した小倉智昭にたいして、「お前なんかより原監督のほうが詳しいよ。小倉さんは調子に乗っている」と反撃。野球や巨人関連の話になると相手かまわず、怖い物知らずになる。
  • 逸話4・・「自分の猫の悪口を言う人は絶対に許せない。顔も見たくない、仕事も一緒にできない」と言う。襖などボロボロにされても、猫が自由であることで幸せを感じるそうだ。
  • 逸話5・・前の奥さんとの離婚原因の一つに、少し太りすぎていた田中のダイエットのために、奥さんはいろいろ気を遣っていたのだが、田中が隠れてお菓子を食べまくっていたために台無しになったことがあるとか。
  • 逸話6・・アンパンを経費で落とそうとして、社長の太田光代にこっぴどく怒られた。
  • 逸話7・・子供ができてからは「母乳が出てほしい」と真顔で言う。

 このように田中裕二はいささかの変わり者ではあるが、ファッションには少しウルサイ。学生時代に太田は、田中に何を言われるか怯えて、震えていたのだそうな。実は田中の兄はパリコレにも参加しているブランド・コムデギャルソンのメンズにあたる、「コムデギャルソン・オムオム」のデザイナーだ。姉もまたデザイナーで、「アツキ・オオニシ」や「ピンクハウス」を手がけた田中里美さん。強力なファッション兄弟です、本人はもちろんデザイナー気取りです。

 

 

今は亡き立川談志師匠が「太田光は天才だ。しかし爆笑問題は田中裕二がいないと成り立たない。だから解散は絶対にしてはならない」と太田光に言い残したそうだ。その言葉を充分に理解している太田は、時には喧嘩もする相方に対して、あふれるような尊敬と感謝の気持ちを持っているそうだ。

 

 

 

 

 

 

ご意見を頂けませんか?