煙草のない世界 ⑨  日本からもぎ取れ勢力 韓国


 

韓国大法院判決

東京都内のホテル、厳重に秘密警護された9階フロアー最深部の会議室では、日・韓外務省の審議官クラス高官がそれぞれ3人ずつテーブルに対峙していた。時刻は午後4時を少し過ぎている。全員の顔に疲労の色が滲(にじ)み出ていた。1965年6月22日に朴正煕(パク・チョンヒ=日本名・高木正男)韓国大統領の下、両国間で締結された通称「日韓基本条約」の細部に関する調整を協議しているのだが、両者とも全く妥協する姿勢を見せることなく時間が過ぎていた。日本の植民地時代に徴用工として働いていた4人が新日鉄住金に損害賠償を求めた裁判の差し戻し審で、2018年10月30日に韓国大法院は新日鉄住金に損害賠償の支払いを命じる判決を下した。この事により韓国政府は従来の自国内での国会答弁「日本からは、日韓基本条約に基づき個人賠償、国家賠償を含む諸々の賠償金を統合して受け取っており、韓国内での分配は韓国政府の責任に於いて実行される。」との立場を覆される事となってしまった。「近来の韓国の発展は日本から受け取った、国家予算の2倍もの賠償金を元としており、産業発展と軍備、併せて国民の個人個人の賠償に当てたからである。」と答えたいところ、「国家責任で行う筈であった個人賠償を、他の色々な事に使ってしまったので、後回しになっているのが現状である」というのが歴史的事実だった。ところが、これは事実を公表する訳にはいかない。この事を国民が知れば、国中が大混乱に陥(おちい)る事が明白だからだ。歴代政府は全て「日本は悪」を掲(かか)げて反日政策を繰り広げてきた歴史を持ち、「充分で完全な賠償金を受け取っていた」事はそっと伏せておきたい、「自国民に対する政治的裏切り」をしていたからだ。

 

日韓高官会議

ところが、今は爺となっているが、ガチガチの反日教育と反日政策の憎しみの中で育ってきた反日申し子たちが、当時の日本企業を相手取って損害賠償訴訟を起こしてしまった。伝統的朝鮮魂の発露とはいえ、韓国政府の今までの政府見解とは食い違う内容の訴えとなっている。韓国政府が自国民に説明してきた「玉虫色(事実隠し)で面倒くさい、意味不明な言葉遣い」により、北偏向勢力に乗せられた哀れな民が起こした相手違いの要求、その結論が10月30日の大法院判決となった。戦後処理や国際条約、世界の法倫理など完全無視の情緒的判決であり、あるいは形而上学的論理に基づく「人類の歴史と共に発生した植民地支配の不合理性を述べただけ」の内容と言える。「現実の戦後処理として取り交わされた日韓基本条約とは何の関わりも実効性も無い、雲の上の仙人達が下した判決である」という事は韓国政府も充分理解している。大法院判決が命じた賠償の執行は韓国政府の責任である事を国会でも、それ以外でも表明し続けてきた韓国政府としては、大法院の判決は「とんでもない」お荷物となってしまった。日本政府から受け取った賠償金で韓国内の個人権利者に支払う筈だった原資は、「別の諸々の政策に回して、使ってしまっていたから」、今騒がれても困るのみである。反日政策の矛盾が生んだ当然の帰結ではあるが、それにしても韓国政府は困った。日本の反発は避けられないと思われるし、大好きな北の将軍様はアメリカとの話し合いをキャンセルされてションボリ元気が無いし、中国は日本に急接近中だし、アメリカには完全に信用を無くしてしまったし、打つ手無しだ。取りあえず日本に特使を送って探(さぐ)りを入れる位しか方法が見当たらない。かくして行われている日韓審議官級会談。朝鮮文化特有の「屁理屈をこねくり回して、何とか日本側に強行手段を執らせない方法はないものか」と相談を持ちかけてはみたものの、日本側3人は河野外務大臣より厳命を受けており、絶対に譲歩は許されない。韓国側も弱みを見せる事はできない。微細で姑息な解釈変更を提案するが、日本側は全く受け付けない。かくしてこの日は時間切れとなり、次回開催の話し合いも無く終了となった。韓国の交渉団はこの日の内に、羽田から飛び立って行った。

 

両班(ヤンパン)文化は魔法か?

  韓国内では、大法院判決を眼にした即席元徴用工たちが、我(われ)も我(われ)も甘い汁に有り付かんと提訴に名乗りを上げ始めていた。訴えを受けた日本側企業は、予想通りの動きに対応して既に手を打っていたので慌てることはなかった。何を決めても「都合が悪くなると必ずひっくり返す」彼の地の文化は、酷(ひど)い目に会いながら充分に学んできていたので、今回は慌てることなく迎える態勢ができていた。彼の地の人と戦うのに日本人では無理であり、最初から彼の地の人に任せる以外方法は無いとの結論を持っていたのだ。かくして、韓国人弁護士さんに作戦を委ねたところ、いとも簡単に作戦を編み出してしまった。「日韓基本条約における戦後賠償に関しては、時効が論じられて然るべきである。然るに、今回の大法院判決においてはその点の決定が明記されていない。先ず時効の設定是非を論じるべきである。然(しか)る後、この条約執行の時効が条約締結時より20年後までなのか、40年後までなのか70年後までなのか、又は時効の始まりは何時(いつ)からとすべきか、はたまた時効は完了してしまっているのか、論じられなければならない。それらの国家方針が決定した後に、日本側との交渉により・・・」こんな100年経っても終わりそうにない、盲点を突っついたような「ネタ」を裁判の第1争点に据えて戦いましょうというのだ。「お見事」の一言に尽きる。流石(さすが)偉大な歴史を持つ韓国人。日本人では考えられない技(わざ)を編み出してしまう。李朝時代の両班(ヤンパン=支配階級の身分)によって磨き上げられてきた高度な屁理屈文化とその技、それを当たり前の如く駆使するというのだ。実政治上での正しい執行が行き詰まれば、第2の技である純粋理論的妄想(殆ど屁理屈か雲上の仙人の教えか)を元に論を繰り広げる、それが駄目なら、第3の技、情緒的論理(こうなると正しい論理はどこへやら)で事を強行する。これら全てに必ず理解不能で、朝鮮民族だけにしか分からない論理が付いてくる事になっている。この第3の論理が韓国人にとっては一番しっくり来るらしい。だがしかし、今回の大法院判決は第2の技であり、崇高な神の倫理に基づく決定との見方がなされている。流石(さすが)に大統領選出時の盛り上がりのように第3の技による情緒論だけでは、大法院の威厳が保てなかったようだ。

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